Vesignieite BaCu3V2O8(OH)2

 私が広井研でしつこく続けているカゴメ物質探索の始まりとなった物質である。カゴメ格子を図1に示したが、正三角形が頂点を共有して繋がった格子である。3本の直線を互いに120°の角度でたすき掛けにした格子と見ることもでき、「カゴメ」という名前は竹や藤などでできた細長い板をそのように組み合わせて作ったカゴに由来している。しかしこの格子はただのカゴではない。この格子に量子性の強い反強磁性スピンを上手に並べると非常に変わった磁気相が現れると予想されており、そのような物質探しが物性物理の分野ではやっている。広井研はこのカゴメ探しにおける老舗であり、2001年に広井先生らによって初めて物性が報告されたvolborthite (ボルボーサイト)はカゴメブームの火付け役となった物質の一つである[1]。

図1. カゴメ格子.

 2008年頃、広井研では当時博士課程の院生であった吉田紘行氏(現NIMS)によってvolborthiteの合成法の改良が行われており、高品質な粉末試料において非常に面白い磁性が現れることが明らかになりつつあった[2]。volborthiteは噛めば噛むほど味の出る大変優れた物質だが、カゴメ格子が構造的にわずかに歪んでいるため理想的なカゴメ探しの観点からはベストとは言えない。今にして思えばそのような理想的なカゴメ格子こそが罠だったのかもしれないが、少なくとも当時は、volborthiteの周辺にvolborthiteよりも一段と変わった磁性を示す理想的なカゴメ物質があるかもしれないと考えた。そこでいつものように気合を入れて文献調査を行い、目を付けたのがvesignieite、bayldonite、KCu3As2O7(OH)3の3つの物質であった。この中で最も歪みの少ないカゴメ格子が実現していると思われる、vesignieiteを合成することにした。
 vesignieiteは日本ではベシニエ石またはベシニエイトと呼ばれる銅の天然鉱物である。どうやら鉱物の業界ではマニアックな方に属するらしい。約50年前にGuilleminにより組成と構造が決定され、フランス人の鉱物収集家であるLouis Vesignieにちなんで名づけられた[3]。結晶構造を図2に示したが、Cuの層がVO4四面体とBaによってセパレートされた層状構造をとる。Cuの層を上から見るとCu2+イオンは図1のようなカゴメ格子を組んでいるように見える(図2(b))。化学組成はBaCu3V2O8(OH)2と書けるが、試料合成の観点からはBaが含まれる点が曲者である。OH基が含まれる物質なので水熱法が適していると思われるが、Baは水に溶けづらい。Guilleminらの論文に、いくつかの合成法が提案されているように読めるのだが、フランス語なのでよくわからないし、彼らの論文は天然鉱物の同定を主眼としていて合成の結果が記述されていない[3]。仕方がないので手探りで合成を試みたところ、わずかにだが粉末XRDパターンにそれらしき回折ピークが現れた。俄然、やる気になって合成条件を振ったのだが、単相試料には見えるんだけれども一向にピークがシャープにならない。埒が開かないのでその試料で磁化率と比熱を測定した。

図2. vesignieite BaCu3V2O8(OH)2の結晶構造. (a)はb方向, (b)はab面に垂直な方向から見ている.

 図3に磁化率の温度依存性を示したが、高温ではCurie-Weiss的に振る舞い、スピン1/2の反強磁性体であることがわかった。それはよかったのだが、磁化率は最低温度に向かって発散的に大きくなり、Curie的に振る舞ういわゆるimpurity spin(またはdefect spin)がかなりの数存在していることも明らかになった(赤の曲線)。試料の質がよくないためだろう。低温領域の磁化率の解析によりimpurity spinの寄与を評価したのが緑の曲線(χimp)で、これを赤の生データから差し引いたのが青のχbulkであり、これが本質的な成分の目安になっているはずである。χbulkは2 Kまで長距離秩序、スピングラス、スピンギャップのいずれも示さず、最低温度で有限の値に向かっているように見える。しかし、この試料のこのデータからいえることはこれが限界である。特に、volborthiteで大活躍したNMRがimpurity spinの影響でほとんど役に立たないのは痛かった。そこで、物性研の吉田誠さんを中心としてvesignieiteの合成法の改良を行った。

図3. vesignieite粉末試料の磁化率の温度依存性. 0.1 Tの磁場中で測定した. 赤が生データ, 緑が不純物スピンの成分, 青が赤から緑を差し引いた本質的な成分.

 その結果、わずかに不純物を含むものの粉末XRDの回折ピークははるかにシャープになり、試料の質を劇的に改善することに成功したのだが、その試料はまさかの9 Kで反強磁性長距離秩序を示した。このように二種類の試料で磁気的な振る舞いが大きく異なる原因は未だに消化できていない。だが、最近Willsらによっても磁気的性質が報告され[4]、また、吉田紘行氏によって単結晶も合成されており、vesignieiteの謎はこれから解かれていくだろう。vesignieiteの物性に興味をもたれた方は、Y. Okamoto, H. Yoshida, and Z. Hiroi, J. Phys. Soc. Jpn. 78, 033701(2009) (arXiv:0901.2237)、または、固体物理44, 473 (2009)の解説記事をご参照ください。

[参考文献] [1] Z. Hiroi et al., J. Phys Soc. Jpn. 70, 3377 (2001). [2] H. Yoshida et al., J. Phys. Soc. Jpn. 78, 043704 (2009). [3] C. Guillemin, C. R. Acad. Sci. Paris 240, 2331 (1955); C. Guillemin and Z. Johan, C. R. Acad. Sci. Paris, Ser. D 282, 803 (1976). [4] R. H. Colman et al., Phys. Rev. B 83, 180416(R) (2011).

[発表] 論文8,15,21,35, 国際会議9,12,15,17, 国内学会15,16,18,20,22,24, 科研費研究会6,7,9,12,14,15, その他研究会2

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