KCu3As2O7(OH)3

 理想的なカゴメ格子反強磁性体の探索に少し行き詰ったので、KCu3As2O7(OH)3という物質を合成することにした。この物質はvesignieiteとともにICSDから見つけていたスピン1/2カゴメの候補物質だが、砒素を敬遠したこと、カゴメ格子がかなり歪んでいると予想されたことから、合成せずにキープしておいた。しかし、その後の数年で状況が変わった。まず、鉄砒素超伝導が発見され、我々のグループもそのブームに参加したので砒素に対するメンタルなバリアが取り除かれた(当然-3価と+5価の違いには気を付けている)。また、歪んだカゴメ格子反強磁性体として地位を確立していたと思われたvolborthiteを取り巻く状況が色々と騒がしくなってきた[1]。そこで、満を持してこのカゴメ物質を合成することにしたのだった。
 KCu3As2O7(OH)3は、20年くらい前にEffenbergerによって唯一報告されている[2]。Effenbergerの論文では、結晶構造に注目することで化学組成がKCu3(AsO4)H(AsO4)と表現されているが、これは大変ややこしいのでKCu3As2O7(OH)3と書くことにした。結晶構造を図1に示す。
vesignieiteとよく似た層状構造をとり、Cu2+がカゴメ格子を組むことがわかる。しかし、vesignieiteとこの物質にはカゴメ格子の歪みの点で大きな隔たりがあり、vesignieiteのカゴメ格子がほとんど等方的であるのに対して、KCu3As2O7(OH)3のカゴメ格子は大きく歪んだ二等辺三角形から形成される。この違いは、vesignieiteiと比べて一つ多いプロトンが余計な水素結合を作るため、両物質でCuの軌道状態が異なることに起因している。詳しくは我々の報告(Y. Okamoto et al., J. Phys. Soc. Jpn., 81, 033707 (2012) / arXiv:1202.2913)を参照していただきたい。 

図1. KCu3As2O7(OH)3の結晶構造. (a)はb軸方向から, (b)はab面に垂直な方向から見ている. (b)の左下に, 各Cuサイトにおいてスピンを担う軌道を示した.

 以上のように、この物質を合成し、物性を調べることにしたのだが、どのように合成するかが問題であった。Effenbergerの方法では不純物だらけになることが論文中に明記されていて、おそらく彼は非常に小さい単結晶を拾い出してX線回折実験を行ったのだろう。仕方がないので、単相の粉末試料が得られるような条件を探すことから始めたが、20回程度の条件探索の結果、単相の粉末試料を再現性良く得ることができるようになった。合成条件は我々のJPSJ論文に記載されている。volborthiteやvesignieiteと少し違う薄緑色の粉末試料である。
 得られた粉末試料の磁化率の温度依存性を図2(a)に示した。まず特徴的なことはWeiss温度が正値であることで、平均すると磁気相互作用は強磁性的であることを示す。これはおそらくカゴメ面内で強磁性的な相互作用と反強磁性的な相互作用が共存していることを反映している。状況証拠を積み重ねることで、スピン間の相互作用はCu1-Cu2間で強磁性的、Cu2-Cu2間で反強磁性的であると推測された。もしCu2-Cu2が反強磁性的であれば、Cu1-Cu2の相互作用が極端に強くない限りCu1サイトのスピンはフラストレートするため、これはこれで非常に強く歪んだカゴメ格子といえるはずである。図2(b)に示したように7.2 Kで比熱にシャープなピークが現れ、この温度(TN)で長距離磁気秩序することがわかる。この物質の物性において興味深いのは、磁気秩序温度より低温(Ts)で温度で割った比熱に肩が現れる点である。これは、TNにおける磁気秩序においてスピンが完全に秩序せず、より低温のTs付近で残ったスピンエントロピーを徐々に放出していることを示す。この2段のエントロピー放出には強く歪んだカゴメ格子のフラストレーションが何らかの役割を果たしているのだと思う。

図2. (a) KCu3As2O7(OH)3の磁化率の温度依存性. 原子核の反磁性を除いた逆帯磁率を右軸に示した. 点線と実線は共にCurie-Weissフィットの結果である. (b) 様々な磁場中で測定したKCu3As2O7(OH)3の温度で割った比熱の温度依存性. 零磁場のデータのTN及びTsが矢印で示されている.

 二等辺三角形に歪んだカゴメ格子反強磁性体はなかなか面白いのではないかと考えている。この物質は歪みが強すぎるが、もう少し歪みの程度の小さいカゴメ物質を発見したいと思う。

[参考文献] [1] O. Janson et al., Phys. Rev. B, 82, 104434 (2010). [2] H. Effenberger, Z. Kristallogr. 188, 43 (1989).

[発表] 論文27, 国内学会23, 科研費研究会14

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