二種類の原子の規則配列によるスピネル酸化物の物性制御

 スピネル酸化物は、酸化物磁性体の元祖である磁鉄鉱Fe3O4を始めとする数多くの物質の物理的性質が研究され、様々な興味深い物理現象が発見されてきた物質群です。この物質群を物理の観点から面白くしている要因の一つが、B原子の組むパイロクロア格子です。スピネル酸化物はAB2O4と表される化学組成をもち、AB原子はそれぞれ図1(a)と(b)に示したダイヤモンド格子とパイロクロア格子を組みます。パイロクロア格子は正四面体が繋がってできた格子ですので、幾何学的フラストレーションというスピンや価数などの電子のもつ自由度の秩序化を抑制する効果(図1(c))が働きます。そのため、Bサイトに磁性や伝導を担う遷移金属イオンを配置すると、通常の遷移金属酸化物で現れるようなスピンや価数の単純な秩序状態の代わりに、様々な変わった状態が現れることが知られています。それに対して、ダイヤモンド格子を組むAサイトは面白い物理現象の発現にとって脇役であることが多いように思われます。

図1. (a) ダイヤモンド格子. (b) パイロクロア格子. (c) 幾何学的フラストレーションの説明図. 互いに逆向きで隣り合おうとするスピン(= 反強磁性相関をもつスピン)を上の正方形に並べると、四辺全てで条件を満たすことができます. それに対して、下の正三角形の場合には三辺全てで条件を満たすことは不可能です.

 この研究で私達が着目したのは、通常は脇役であるAサイトの役割です。もしAサイトに二種類の原子を秩序して並べることができれば、主役であるB原子の組むパイロクロア格子に何らかの影響を与えることができるはずです。そこでLiGaCr4O8とLiInCr4O8という二つのスピネル酸化物に目をつけました。これらは40年以上前にJoubertとDurifによって合成された物質です[1]。詳しい構造解析や物性測定はなされませんでしたが、図2(a)に示したようなLiとGa(またはIn)が閃亜鉛鉱型に規則配列した構造モデルが提示されました。もし実際にこのような規則配列が実現すれば、Cr3+イオンのパイロクロア格子は化学圧力の効果によって図2(b)のように小さな正四面体と大きな正四面体が交互に並ぶように変調されるはずです。私達はこの格子を、正四面体が交互に膨張収縮していることから「ブリージング」パイロクロア格子と呼ぶことにしました。普通の均一なパイロクロア格子にS = 3/2スピンをもつCr3+イオンが並んだスピネル酸化物ACr2O4は、幾何学的フラストレーションの効果によってスピンヤーンテラー転移や半磁化プラトーといった興味深い磁気的性質を示すことが知られています。このCrパイロクロア格子がブリージングすることで磁気的性質にどのような影響が現れるのかは興味深いと思われます。直感的には、正四面体の大きさが著しく異なれば小さな正四面体上で4つのスピンが一重項を形成する四量体一重項状態が実現しそうに思われますが、そのような一重項状態はこれまで実験的には実現してしていませんし、さらにそこから通常のパイロクロア格子に近づけていったときに何が起こるのかは自明ではありません。

図2. (a) LiGaCr4O8とLiInCr4O8の結晶構造.
(b) 両物質におけるCr3+のブリージングパイロクロア格子.

 そこで、LiGaCr4O8とLiInCr4O8の多結晶試料を合成し、粉末中性子回折による構造解析と、MPMS・PPMSによる磁化・比熱測定を行いました。その結果、Ga、Inの場合ともにLiとGa/Inが完全に秩序配列していること、Inの方が大小の正四面体のサイズの違いが僅かに大きい(=ブリージングの度合いが大きい)ことが明らかになりました。それに対して、両者の磁気的性質は著しく異なります。図3に磁化率を示しましたが、Gaの磁化率は通常のCrスピネル酸化物と同じような温度依存性を示すのに対して、Inの磁化率は温度の低下に伴い急激に減少し、スピンギャップの存在が示唆されます。最終的には、Gaは13.8 K、Inでは15.9 Kで反強磁性長距離秩序と予想される相転移を示しますが、相転移におけるエントロピーの放出の仕方は両者で大きく異なります。

図3. LiGaCr4O8とLiInCr4O8の磁化率の温度依存性. 挿入図は逆帯磁率.

 両物質の磁気的性質が著しく異なる原因を探るために、既知のCrスピネル酸化物と構造パラメータを比較しました。すると、Gaの場合には大きな正四面体上の磁気相互作用J'は小さな正四面体上のJの半分程度あるのですが、Inの場合にはJ'Jの1/10程度と非常に小さいと推測されました(正確な値は非弾性中性子散乱実験によって評価する必要があります)。ということは、Inにおけるギャップ的な振る舞いは、小さな正四面体上で四量体一重項が形成されることによるものである可能性が高いです。この四量体一重項状態は正四面体の対称性に起因する内部自由度をもつので、15.9 Kの相転移がこの内部自由度の解放と関連があれば面白いです。
 しかし、本研究の最も重要な意義は、「ブリージング」がスピネル酸化物という古典的なシステムの物性を左右する新しいパラメータとなり得ることを実証した点にあると考えます。実はパイロクロア格子がブリージングしたスピネルは硫化物を中心として既にいくつか知られています。しかし、この場合のブリージングはパイロクロア格子上の電子のエネルギー得によって駆動されていると思われ、どの程度ブリージングするかはパイロクロア格子を組む原子の性質によって決まります。本研究の場合はそれと異なり、パイロクロア格子のブリージングがAサイトの秩序占有によって引き起こされている点がポイントです。Aサイトを占有する元素を選択することにより、ブリージングの度合いを制御できます。このようなAサイトの秩序占有によるブリージングは他のスピネル酸化物にも適用できるでしょうし、スピネル以外のパイロクロア格子をブリージングさせることも可能でしょう。また、他の格子のブリージングも面白いかもしれません。例えば、正三角形を頂点共有させて平面的につなげたカゴメ格子では、パイロクロア格子と全く同様にブリージングの舞台となりえるはずです。ブリージングという概念を意識した、今後の新物質探索が大いに期待されます。
 本記事の詳しい内容はPhysical Review Letters誌に掲載されました(
Phys. Rev. Lett. 110, 097203(2013). プレプリントはarXiv:1301.6936でダウンロードできます)。また、本研究は、東大物性研Gøran J. Nilsen(現所属はILL)、中園敦巳、廣井善二、エジンバラ大学J. Paul Attfield各氏との共同研究です。中性子回折実験は、英国ISISのパルス中性子ソースのGEM回折計を用いて行われました。関係諸氏に深く感謝いたします。

[参考文献] [1] J.-C. Joubert and A. Durif, Bull. Soc. franc. Miner. Crist. 89, 26 (1966).

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